a beautiful day for diffusion of a death by exposing it to the elements.
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昨日の忍たま(本当の顔は?の段)があまりにも深く暗いと思ってしまったので個別に日記を作ってしまいました。というかあれ病気だろ普通に。
他人に変装しすぎて自分の本当の顔を忘れるとか、変装するとその人の性格までトレースされたような気分になるとか、どれだけ現代病なのかと。これもう一種のホラーですよね。サイコホラーとかであってもおかしくない設定。仮面がたくさん出てきたりやけに寓意的だし。
あの年であれだけ変装うまいってことは、幼年期に相当いろいろあったと思うんですよ。自分を殺さなければいけなかったような何かが。もしくは殺されなければいけなかったような何かが。
※まぁでも、この時代は今とは比べものにならないぐらい「個人」とか「自分」とか「私」という観念が希薄だったであろうから、一概に現代の病理とは重ねられないかもしれませんけど。
私は基本的にポジティブよりネガティブなストーリーのほうが好きです。ヒトが必死で生き抜こうとして、その必死さゆえにどんどん歯車が狂い、うす汚くなっ て壊れていく姿が好きです。善意だとか正義感だとか理想だとか希望だとかが、それを貫こうとするときの軋轢でいつの間にかねじ曲がって、最悪の結果に転じ る瞬間なんて大好物です。
好きなのは人間のきれいな部分だけど、愛せるのは人間の汚い部分。なので歴史がすきなんですけど。
今まではそういう調子で、卒業試験で殺し合う6年の話を書きたいと思っていたけど、今日のアレを見て鉢屋の狂気に取り込まれる5年も書いてみたいと思った。みんなで鉢屋を助けようとしてみんなで病気になってしまうっていうwwww
キャラソンもそうだけど、やりたい、やりたいばっかりで何も手を付けてませんけど。体があと3つぐらいほしい
鉢屋が不破の顔を選んでいる理由って何なんでしょうね。うしろ暗いものでありそうなヨカンがして、ワクワクドキドキします。
尼子先生は意図しているのかしていないのかわからないけど、本当にキャラを作るのがうまいなぁ。尼子先生に限らずですけど、作られ上手なキャラには、本当 にその人が存在したかのような生々しさがありますよね。ヒトの匂いがするというか。やはり知識量と、その投影の妙のなせるわざなのかなぁ。
落乱、あのデフォルメ具合(性格的にもイラスト的にも)でこの生々しさはすごいと思う。なのに「いない」という。存在していなかった、というほうが、むしろ不自然に感じてしまう。ヒトの匂いがするのに、存在していないという「耐えられない軽さ」に、違和感を覚える。
なんて感じるのは、私が中二だからってだけでしょうけど。
そんなわけで、今までは歴史好きと言っても、いちばんとっつきやすい戦争史や政治史や、それから民俗史・宗教史ものばかり読んでいたんですが、落乱にハマ りなおしてからは生々しさつながりで、当時の文化・社会・生活観念と、そこから得られる体感について知りたいと思うようになりました。
まー、落乱自体、そういうことに力を入れて書いているせいもありますけど、
本当は「いた」のに、時代に存在を無視された名もなき民衆たちが、彼らを研究した人の手で血と肉を与えられ、一個の集大成的・象徴的存在として「復活」し、実在する人間と同じような匂いを発するようになった
のだとしたら、
月のない夜空はどれだけ暗かったのかとか、どんな刃物で切られたらどれだけ痛いのかとか、味噌汁はどんな味がしたのかとか、作物が芽を出さない畑を目の前にしたときの気持ちとか(戦国時代は小氷河期だったらしいよ…)
というような疑問を抱くことは、突然つき出された、いわれのない違和感を払拭するための、禅問答のようなもの
という気がします。
鎌倉時代の話だけど、源氏が平家に勝てた理由は、食べ物のせいも大きかったそうです。
貴族ナイズされた、塩漬け(腐らないように)の珍味ばかり食べていた平家は、関東で良性の動物性たんぱく質摂取生活を日々送っていた源氏に比べて、圧倒的に体力がなかったとか。
こういう、五感の感覚として理解と実感ができる知識がもっと欲しい。
でもやっぱりいちばんは、上に書いたような「個人」「私」「自分」に対する観念を理解したい。この観念をどう捉えるかで、思いやりだとか恋愛だとか優しさ として、つまり美談として表現されるもの、心の拠り所にできるものが、まったく変わってくると思うんですよね。少なくともある階級以上のヒトたちは、絶対 に「家」に負けていただろうしなぁ。
例えば、関係ないんで詳しくは書きませんけど、そして時代は少し変わりますけど、さらに武士階級に限ったヒトたちの話ですけど、江戸時代に作られた「南総 里見八犬伝」(時代背景は戦国時代だけど)のラストなんて、「家」重視すぎてあっけに取られますもの。今の価値観からすると、あれだけのいい話がオチで大 ゴケ!っていう。
一生理解できない気もするし、理解できないほうが幸せかもという気もします。まぁ、とりあえず選挙にはちゃんと行くようにしている。
まったくまとまっていませんが、というかまとめる気もそもそもなかったんですが、ぐだぐだ書きました。終わり。
※タイトルはミラン・クンデラという人の小説の名前。このgdgd文章とは何の関係もありません。が、鉢屋の病理(勝手に病気にするなと)にはちょっと関係があるような気がする。
【追記】
鉢屋&5年にはこの症状を捧げたい
ゲシュタルト崩壊(必殺技みたいな名前ですよね)
http:// d.haten a.ne.jp /makaro nisan/2 0061202 /116499 1936
他人に変装しすぎて自分の本当の顔を忘れるとか、変装するとその人の性格までトレースされたような気分になるとか、どれだけ現代病なのかと。これもう一種のホラーですよね。サイコホラーとかであってもおかしくない設定。仮面がたくさん出てきたりやけに寓意的だし。
あの年であれだけ変装うまいってことは、幼年期に相当いろいろあったと思うんですよ。自分を殺さなければいけなかったような何かが。もしくは殺されなければいけなかったような何かが。
※まぁでも、この時代は今とは比べものにならないぐらい「個人」とか「自分」とか「私」という観念が希薄だったであろうから、一概に現代の病理とは重ねられないかもしれませんけど。
私は基本的にポジティブよりネガティブなストーリーのほうが好きです。ヒトが必死で生き抜こうとして、その必死さゆえにどんどん歯車が狂い、うす汚くなっ て壊れていく姿が好きです。善意だとか正義感だとか理想だとか希望だとかが、それを貫こうとするときの軋轢でいつの間にかねじ曲がって、最悪の結果に転じ る瞬間なんて大好物です。
好きなのは人間のきれいな部分だけど、愛せるのは人間の汚い部分。なので歴史がすきなんですけど。
今まではそういう調子で、卒業試験で殺し合う6年の話を書きたいと思っていたけど、今日のアレを見て鉢屋の狂気に取り込まれる5年も書いてみたいと思った。みんなで鉢屋を助けようとしてみんなで病気になってしまうっていうwwww
キャラソンもそうだけど、やりたい、やりたいばっかりで何も手を付けてませんけど。体があと3つぐらいほしい
鉢屋が不破の顔を選んでいる理由って何なんでしょうね。うしろ暗いものでありそうなヨカンがして、ワクワクドキドキします。
尼子先生は意図しているのかしていないのかわからないけど、本当にキャラを作るのがうまいなぁ。尼子先生に限らずですけど、作られ上手なキャラには、本当 にその人が存在したかのような生々しさがありますよね。ヒトの匂いがするというか。やはり知識量と、その投影の妙のなせるわざなのかなぁ。
落乱、あのデフォルメ具合(性格的にもイラスト的にも)でこの生々しさはすごいと思う。なのに「いない」という。存在していなかった、というほうが、むしろ不自然に感じてしまう。ヒトの匂いがするのに、存在していないという「耐えられない軽さ」に、違和感を覚える。
なんて感じるのは、私が中二だからってだけでしょうけど。
そんなわけで、今までは歴史好きと言っても、いちばんとっつきやすい戦争史や政治史や、それから民俗史・宗教史ものばかり読んでいたんですが、落乱にハマ りなおしてからは生々しさつながりで、当時の文化・社会・生活観念と、そこから得られる体感について知りたいと思うようになりました。
まー、落乱自体、そういうことに力を入れて書いているせいもありますけど、
本当は「いた」のに、時代に存在を無視された名もなき民衆たちが、彼らを研究した人の手で血と肉を与えられ、一個の集大成的・象徴的存在として「復活」し、実在する人間と同じような匂いを発するようになった
のだとしたら、
月のない夜空はどれだけ暗かったのかとか、どんな刃物で切られたらどれだけ痛いのかとか、味噌汁はどんな味がしたのかとか、作物が芽を出さない畑を目の前にしたときの気持ちとか(戦国時代は小氷河期だったらしいよ…)
というような疑問を抱くことは、突然つき出された、いわれのない違和感を払拭するための、禅問答のようなもの
という気がします。
鎌倉時代の話だけど、源氏が平家に勝てた理由は、食べ物のせいも大きかったそうです。
貴族ナイズされた、塩漬け(腐らないように)の珍味ばかり食べていた平家は、関東で良性の動物性たんぱく質摂取生活を日々送っていた源氏に比べて、圧倒的に体力がなかったとか。
こういう、五感の感覚として理解と実感ができる知識がもっと欲しい。
でもやっぱりいちばんは、上に書いたような「個人」「私」「自分」に対する観念を理解したい。この観念をどう捉えるかで、思いやりだとか恋愛だとか優しさ として、つまり美談として表現されるもの、心の拠り所にできるものが、まったく変わってくると思うんですよね。少なくともある階級以上のヒトたちは、絶対 に「家」に負けていただろうしなぁ。
例えば、関係ないんで詳しくは書きませんけど、そして時代は少し変わりますけど、さらに武士階級に限ったヒトたちの話ですけど、江戸時代に作られた「南総 里見八犬伝」(時代背景は戦国時代だけど)のラストなんて、「家」重視すぎてあっけに取られますもの。今の価値観からすると、あれだけのいい話がオチで大 ゴケ!っていう。
一生理解できない気もするし、理解できないほうが幸せかもという気もします。まぁ、とりあえず選挙にはちゃんと行くようにしている。
まったくまとまっていませんが、というかまとめる気もそもそもなかったんですが、ぐだぐだ書きました。終わり。
※タイトルはミラン・クンデラという人の小説の名前。このgdgd文章とは何の関係もありません。が、鉢屋の病理(勝手に病気にするなと)にはちょっと関係があるような気がする。
【追記】
鉢屋&5年にはこの症状を捧げたい
ゲシュタルト崩壊(必殺技みたいな名前ですよね)
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ごんファイ
一. 文章を書いて生きています。
一. 日本史から入ったタイプなので、落.乱、忍.た.ま以外のアニメ、マンガ、ゲームの話にはついていけないことが多いです。申し訳ない!
一. 日本史から入ったタイプなので、落.乱、忍.た.ま以外のアニメ、マンガ、ゲームの話にはついていけないことが多いです。申し訳ない!
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